ほぼほぼドラマレビュー

ドラマが大好きです。地上波、BS、海外ドラマ、何でも見ます。で、なんか書きます。どうぞご贔屓に。

カテゴリ: 連ドラ


ちょっと変わった教育ドラマ、嫌われる勇気です。


アドラー心理学というのは昨今人気の心理学。
フロイトがネガティブであるのに対し、アドラーはポジティブだと言われてます。
昨年、NHKの100分で名著で取り上げられました。

第一回目に見たぎこちなさはだいぶ慣れてきました。

ドラマ自体は刑事物ですが、大学教授(椎名桔平)が登場し、
刑事(加藤シゲアキ)にポイントを講義しています。
制作者の意図がアドラーを理解して広めることなら
香里奈演じる庵堂蘭子のイメージはちょっと違うかなと思います。

主人公の設定派もっと柔らかくてもいいんじゃないかしら。
アドラーのイメージはあんなガチガチじゃないと思うなあ。
どっちかといえば、遺留捜査の主人公みたいな方がいいかなと。


流れとしては加藤シゲアキ演じる青山年雄青年が第二の実践者になって、
こっちは極めて人間的なので、それで取り返そうと言うことでしょうか。

継続して見ている方は、
ぜひ、上の  NHKの番組とか
アドラーの著作に触れて見てください。

それにしても、第9話。
15年前の被害者を訪ね、仏前に手を合わせるとき、
コートを脱がないのはなぜ?
脱いで欲しかったなあ。



 

毎日書こうと思いながら、書けない。
毎日書いてる人すごいなあ。

今回書くのは、山田孝之のカンヌ映画祭
 これはこの前の「山田孝之の東京都北区赤羽」という作品の延長にある。
あれは、山田孝之という俳優がノンフィクションを演じるという構造だった。
山田が、なぜか演技に疑問を持って仕事ができなくなって、山田孝之個人に戻るというところから始まる。フィクションをやる人がノンフィクションに戻るんですよという導入がなされるというフィクション。で、赤羽で生活し始めて、赤羽に住んでいる漫画家を道案内に赤羽という街に分け入っていく。これがまた面白くて、ノンフィクションに入るために漫画という作品を通す。

ほんと、よく考えてるよねえ。 フィクションとノンフィクションの入れ子。

つまり、一般人の日常生活を描き、それがもうとてつもなく面白いんだけど、そのことの反射で映像作品とは何か、俳優とは何かを明らかにしようという試みだった。

で、今回は、映画を撮るというノンフィクションを山田孝之がフィクションとして描くということになっていて、前作よりもはるかに、映像/映画の喉元に切り込むようになっている。

これ一体誰のアイディアなの?
山田孝之? それとも山下、松江両監督? その全部?

毎週毎週、そこに仕掛けがあって面白いんです。
第6話では、村上淳に首吊りの練習してくださいとかいいます。 もうどこまでホントかそうでないのか分かんないんだけど、世の中には五分も十分も首っていられる人がいて、その人にコツを聞いて、村上もできるようになれとかいうわけです。 村上は俳優村上と作中の人物の二重の演技をするわけだ。村上という俳優が、素の村上から俳優村上になって、作中の人物を演じるために、本当に首を吊るんじゃなくて、首を吊った振りをする、そのまた練習をするという演技をする。 わっはっは。 そこから、見えてくるものはなんだろうね。

 

 
「お母さん、娘をやめていいですか」

このドラマ、最初はイマイチだった。
必要があって見てた。
だんだん調子が上がってきて、
今回は、おお!!という出来だった。

毒母といわれる人は本当にいるようだ。
道を踏み外した母親。
必要があって何冊も本を読んだが、本当に頭を抱えてしまう。

この手の特殊な人を題材にすると、共感を得るのが難しい。
当たり前だ。関係ない人だから、怖いもの見たさみたいな興味本位になってしまう。

それをどう解決して共感に持っていくかが作り手の課題なんだろうな。
今回も他人事だったが徐々に近づいてきて、第七回でなるほどぉと共感できたのだ。

早瀬顕子と美月は共依存の母と娘。
母による娘の支配はお互いにとってなかなか自覚し難い。
そこで、もう一組の母娘
美月の教え子、礼美と母だ。美月は礼美を通して母娘の関係を考えていく。

事件が起こる。
美月が務める高校の文化祭で、礼美がゾンビになっているのを見にきて激怒した母。その母に向かって死ねと叫ぶ礼美。礼美が母に引きずられていき、階段にかかる。 母のほうが転がり落ち重傷を負う。礼美が突き落としたのではないかという疑いをかけられる。二人は何も話さない。

病院で礼美の母を説得する美月
そこに今回のキモになる会話が出てくる。

母「あの子はわたしを憎んでいる」
美月「憎めればどんなに楽でしょう」

このやり取りで特殊な母子はごく普通の母子になった。
どんな親子にだって、そういう瞬間はある。
二人のこのやり取りを聞いて、子育てに悩んだ全ての母が胸を突かれたし、
親を越えようともがいている子も、ドキッとしたはずだ。

虐待して、育児放棄して、いがみ合って、傷つけあっている母子は
憎もうにも憎めない、愛し合った母子なのだ。歪んではいるが。

一方、虐待も放棄もしていない顕子と美月は、お互いの歪みに気づかないままきたが、
美月の恋愛と礼美母子のせいで、美月が被支配者の位置から出ていこうとする。
それを顕子は認められない。

ののしり合った礼美母子はぶつかり合えるが、美月/顕子にはそれができない。

自分の繭の中に美月を囲い込もうとする顕子
顕子を後ろから抱きしめて、説得する姿は、糸を吐いて絡め取ろうとするかのようだ。
果たして美月はその手を振り払い言う。

「お母さん。娘をやめていいですか。」

ぶつかり合えないなら、関係を解消するしかない。

美月は、礼美や礼美の母となら話し合える。
そのことを通じて気付いていった。

顕子は友達の文江や夫浩司の言葉にも耳を貸さない。

なぜだろう。

わたしは、親子を作るのは「血」ではなく共有した時間と経験だと考えている。
「血」だと言うのなら、産んだだけで親子になってしまうではないか。
そんなことはありえない。

顕子はせっせと家を繕う。
家は顕子の繭なのだ。
その家で顕子は趣味の人形作りに精を出す。
現実の美月に合わせて、人形も成長して、前回はウエディングドレスを着ていた。
本当に怖い。

来週、最終回だ。
顕子は乗り越えるのだろうか。

しかし、何と言っても美月の恋人役の柳楽優弥がいい。
昨年の「ゆとりですがなにか」が最高だった。彼も色々あって、でも今のように元気に仕事できるようになって、本当に良かったなあ。四月からの「フランケンシュタインの恋」も楽しみだ。公式サイトのニュースによれば、キネ旬の主演男優賞を受賞したとか。『ディストラクション・ベイビーズ』での評価だとか。見てないよ。見なくちゃ。菅田くんも出てるし。

もひとつ。
壇蜜演じる柳楽優弥の同僚女性、なんかありそうなんだよねえ。

最終回に何か出てくるだろうか。

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