ほぼほぼドラマレビュー

ドラマが大好きです。地上波、BS、海外ドラマ、何でも見ます。で、なんか書きます。どうぞご贔屓に。

テレビ東京の土曜ドラマ枠
4作目 ようやく本気の作品になりました/
これまではコメディタッチだったけど、いきなりノアールです。

金と銀  徹底的に裏社会、地下社会の話。
もう大変。毎回、これまでの概略が出ますから、これからでもどうぞ。
毎回のゲストがなかなか好演、怪演しています。
これも見もの。
今回は柄本明
すごいです。

柄本演じる蔵元はギャンブルを生業にしており、フィクサーでもある。
その蔵元子飼いの国会議員を買うべく、池松壮亮演じる主人公森田と、その師匠筋平井(リリーフランキー)は勝負に乗り込む。平井が、キングメーカーになって国を飲み込むため。

勝負は麻雀。
その麻雀がすごい。1ツモ100万 !
それはそれとして、

今朝、録画を見たのだけども、朝から大変な一言を聞きましたよ。
怪演柄本が言い放つ

「地獄を見つめて生きるより
 希望を持って死にた〜〜〜〜〜〜い!!」

これは地獄を見つめる勇気のない貧乏人が
辛抱できずに最後の勝負に出て大敗し、
それに対して言う言葉。

これは。
朝からお腹の底に響きましたよ。

地下社会ならずとも、地獄を見つめなければ、希望は見えないでしょう。
希望はないと思い定めなければ何も始まらない。
「人口減少と衰退を引き受けるべき」「みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい 」
と言う上野千鶴子の発言が炎上するのは、そのことが徹底されていないからだと思います。

大変。
 


今午後の民放はほとんどワイドショーで、
ドラマの再放送をしてるのはテレ朝だけ。
他にはフジテレビが メディアミックスαと言う枠1時間だけ再放送してます。
ドラマよりもワイドショーなんですね。
以前は地上波で午前にもドラマあったなあ。

この第3シリーズは、首都直下型地震に見舞われた東京でも救命救急を扱ってます。
朴訥だが決して折れない進藤先生(江口洋介)を中心にドクター、ナースのほか
ボランティアとしてドクターの弟役で小栗旬が
娘が入院している政治家役で、仲村トオルが出演しています。
小栗旬若い。で垢抜けない。
それと尾野真千子も平のナースで出てます。
天才、尾野真千子もチョイ役からなんだなあとしみじみします。
2005年の放送ですが、その時には尾野真千子のこと全く知りませんでした。

それはさておき、3.11からもうすぐ6年。
ようやく、午後の時間帯にひっそりこれを放送しようと思えるようになったんですね。
2005年は、阪神淡路大震災から10年でした。
最終話(今回の3.3放送分)では、登場人物がもう限界という状況になって
その時、進藤先生が神戸の新聞社から二枚の写真を取り寄せます。
震災当時の写真、同じアングルの10年後の写真
はっきり復興が見える。
「あの写真に写っているのが人間の生命力だ」
進藤先生の言葉です。

感動ポルノという言葉があります。
もとは、障害者に対して言われる言葉で「障害者が障害を持っているというだけで、感動をもらった、励まされたということです。頑張ってるね、偉いねみたいなお涙ちょうだいのこと。

第3シリーズもそれに近いかも。

でも、そうは言い切れない、制作サイドの頑張りが見られると思います。
ボランティアの勝手さ。政治家の無力さ。東京に依存した現在の日本のあり方。親子のこと。夫婦のこと。個人の力の限界。などなど、極限状況で見られる様々な問題を素直に取り上げていたと思います。
ゴールデンタイムのエンターテインメントとしては悪くないとしておきたいです。

3.11を経験した今から見ると、首都直下型地震のリアリティがかつて以上に感じられ、何ヶ月もの不便な生活に耐えられるだろうか。耐えられるだけの人的資源を持っているだろうか。たくさん思うところがあって、個人的には感動ポルノでは終わらない作品でした。

来週からまた新シリーズになるようです。
見るかな、どうかな。


 

ネット上ではこの番組はオカムスと言われてるらしい。
信田さよ子さんがそう書いてる。

で、オカムスが終わった。
母と娘はお互いを捨てあって
次の一歩を踏み出した

捨てるのではなく捨てあう。ここだな。
母親の親友も絶交を言い渡す。
言い渡した後で、訪ねた母に、話を聞いてあげてもいいわよという。
父親も、家を出るといいながら、一緒に行こうという。

スクラップアンドビルドだ。

問題を共有するという意思。
そして、言い合う。
これが、できればほとんど問題は解決してるんだよね。

娘が自分の好きなものが何か考えるというシーンがあった。
うちの息子たちにそんなことは絶対ない。
親に支配されてない証拠だ。
ほっと安心

今、うちは安心できない状況だけど。

安心できない多くの人々が
このドラマをきっかけに声を出しているようだ。
それはとてもいいことだ。
そうなるために、このようなドラマはある。


ちょっと変わった教育ドラマ、嫌われる勇気です。


アドラー心理学というのは昨今人気の心理学。
フロイトがネガティブであるのに対し、アドラーはポジティブだと言われてます。
昨年、NHKの100分で名著で取り上げられました。

第一回目に見たぎこちなさはだいぶ慣れてきました。

ドラマ自体は刑事物ですが、大学教授(椎名桔平)が登場し、
刑事(加藤シゲアキ)にポイントを講義しています。
制作者の意図がアドラーを理解して広めることなら
香里奈演じる庵堂蘭子のイメージはちょっと違うかなと思います。

主人公の設定派もっと柔らかくてもいいんじゃないかしら。
アドラーのイメージはあんなガチガチじゃないと思うなあ。
どっちかといえば、遺留捜査の主人公みたいな方がいいかなと。


流れとしては加藤シゲアキ演じる青山年雄青年が第二の実践者になって、
こっちは極めて人間的なので、それで取り返そうと言うことでしょうか。

継続して見ている方は、
ぜひ、上の  NHKの番組とか
アドラーの著作に触れて見てください。

それにしても、第9話。
15年前の被害者を訪ね、仏前に手を合わせるとき、
コートを脱がないのはなぜ?
脱いで欲しかったなあ。



 

毎日書こうと思いながら、書けない。
毎日書いてる人すごいなあ。

今回書くのは、山田孝之のカンヌ映画祭
 これはこの前の「山田孝之の東京都北区赤羽」という作品の延長にある。
あれは、山田孝之という俳優がノンフィクションを演じるという構造だった。
山田が、なぜか演技に疑問を持って仕事ができなくなって、山田孝之個人に戻るというところから始まる。フィクションをやる人がノンフィクションに戻るんですよという導入がなされるというフィクション。で、赤羽で生活し始めて、赤羽に住んでいる漫画家を道案内に赤羽という街に分け入っていく。これがまた面白くて、ノンフィクションに入るために漫画という作品を通す。

ほんと、よく考えてるよねえ。 フィクションとノンフィクションの入れ子。

つまり、一般人の日常生活を描き、それがもうとてつもなく面白いんだけど、そのことの反射で映像作品とは何か、俳優とは何かを明らかにしようという試みだった。

で、今回は、映画を撮るというノンフィクションを山田孝之がフィクションとして描くということになっていて、前作よりもはるかに、映像/映画の喉元に切り込むようになっている。

これ一体誰のアイディアなの?
山田孝之? それとも山下、松江両監督? その全部?

毎週毎週、そこに仕掛けがあって面白いんです。
第6話では、村上淳に首吊りの練習してくださいとかいいます。 もうどこまでホントかそうでないのか分かんないんだけど、世の中には五分も十分も首っていられる人がいて、その人にコツを聞いて、村上もできるようになれとかいうわけです。 村上は俳優村上と作中の人物の二重の演技をするわけだ。村上という俳優が、素の村上から俳優村上になって、作中の人物を演じるために、本当に首を吊るんじゃなくて、首を吊った振りをする、そのまた練習をするという演技をする。 わっはっは。 そこから、見えてくるものはなんだろうね。

 

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